映画「レスラー」の感想

ミッキー・ローク主演(!)の「レスラー」を観てきました。
やはりプロレスファンとして見逃すわけにはいかない映画ですので。


まず、この作品はプロレスの内幕を描いた画期的な映画です。
アメリカのメジャープロレス団体WWEの「エンターテインメント宣言」以降、ドキュメンタリーとしてなら「プロレスはあらかじめ勝敗の決まったショーである」という事実を隠さずに描いた作品はありました。
日本でもミスター高橋の暴露本『流血の魔術 最強の演技 全てのプロレスはショーである』によりそれが常識となっています。
「暗黙の了解」だったことが、もはや「明白な事実」になってしまったのが近年のプロレスをめぐる状況です。
「レスラー」はそういった事実を折り込み済みで語られるプロレス映画です。


しかし、だからこそプロレスは面白いというのも否定できない事実です。
リアルな格闘技は、そのリアルさゆえにどうしようもない凡戦を観客に提供してしまうことがままあります。
そして平気で観客の期待を裏切る結末を提示します。
さらにタチの悪いことに、リアルな格闘技の中にも「不公平なマッチメイク」「不可解なジャッジ」「偏ったレフェリング」といった八百長性が紛れ込んでしまうことが多く、観客はいつも心のどこかで「これは本当に、プロレスのような決め事のないリアルファイトなのだろうか?」という疑いを持ちながら試合をみてしまいます。
これならいっそすべてが明快なプロレスのほうが楽しめるというものです。
しかし、そうやって観客の期待に応える100点満点の試合を提供し続けなければならないプロレスラーは、やはり過酷な職業です。
その闇の部分をはっきりと描いているのがこの映画です。
そして主演のミッキー・ロークから滲み出る、もはや演技なんかリアルなのか判別のつかない“悲哀”。
頂点から転落した男の“悲哀”。
これがもう胸に迫ってきてたまらないものがあります。


そして、このタイミングで観ると、プロレスファンは主人公ランディに三沢さんの姿を重ねてしまうところがあります。
偶然にもランディのコスチュームはエメラルドグリーンなのです。
ああ!


それにしてもこの役はスタローンのロッキーorランボーシュワちゃんターミネーターのような「当たり役」に恵まれなかったミッキー・ロークだからこそ演じることができたと思います。
いや、そもそもスタローンやシュワルツネッガー、あるいはニコラス・ケイジのような勝ち組には“演じる資格がない”。


途中でランディがヒロイン(年増ストリッパー……)と一緒に80年代への賛歌と90年代への呪詛を語る場面があります。
「あの頃は良かった。ガンズ・アンド・ローゼスにモトリー・クルー!」
「あとデフ・レパード!」
「でもニルヴァーナが出てきて全部変わっちまった」
「お気楽な気分が台無し!」
「90年代は大嫌いだ!」
うろ覚えなので細かいところは違うけど、概ねこんな会話でした。
なんともセンチメンタルでノスタルジックなやりとりです。
プロレスファン名ならこう言いかえられるでしょうか。
「でもグレイシーが出てきて全部変わっちまった!」


ともあれ、「レスラー」はプロレスファンでない人たちにも観てもらいたい良作です。
プロレス否定派の格闘技至上主義者の方にも。