今、もう一度、「ニュー・ニコマス・パラダイス」を語ろう。

センチメンタル! センチメンタル!
動画職人とアイマスのこの人生物語。
「ニュー・ニコマス・パラダイス」はニコ厨への素晴らしい贈り物で、
嬉しくも切ない動画であった。

             海月一彦(ニコニコ動画評論家)

さて、まずはパロディにはパロディで賛辞を。
ニコニコ動画でのMADの存続が危ぶまれる中、もう一度、語っておきたい動画がある。
それは「ニュー・ニコマス・パラダイス」1・2。
一月前のニコ動内有志企画「24時間アイマスTV!〜みんなまとめてアイドルマスター〜」の映画枠で公開された、いわゆる“嘘字幕シリーズ”MADだ。
その内容はタイトルの通り、あの名作映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を題材に、“映画館”を“ニコニコ動画”に、“映画(フィルム)”を“アイマスMAD”に置き換えたパロディ作品と説明できるだろう。
公開当時から、はてなで留まってすぐ溶解さん*1など諸方面で話題になったこの作品。
ニコニコ動画でMAD削除の話が持ち上がり、様々な議論がなされる中、あまりに象徴的にこの問題を“MAD化”しているこの動画について、いまだからこそもう一度語りたい
作者である木曜洋画劇場Pの「ニュー・ニコマス・パラダイス0」の制作支援の意味もこめて。


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ニコニコ動画の有力ジャンルであるアイドルマスターMAD(通称・ニコマス)。
その技術革新やUP競争、ランキングにおける論争、そしてツンデレカルタ事件など、ニコマスにまつわる実際の出来事を巧みに“嘘字幕”で元ネタ映画の中に描きこんだ「1」。
特に後半での一場面。
今うpしても荒らしの標的になるだけだぞ!」という忠告に対して、「そんなの僕の勝手じゃないか!」と叫ぶトトの姿に胸を打たれる。
この言葉は、すべてのクリエーターが抱える根元的な苦悩であり、心の叫びではないだろうか。
特にある種の日陰者であるMAD製作者たちには身につまされるものがある。
そして何より大切なことは、この叫びこそMAD製作者たちが著作権泥棒などではなく、ネット社会におけるもっともプリミティブなクリエーター、創作者たちであることを示しているのだ。


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そして元ネタ映画へのリスペクトとニコニコ動画ニコマスへの愛に溢れた「2」。
このラストシーンは、もはやMADらしからぬほど元ネタ映画のテーマを忠実になぞり、再現している。
権利者による削除、あるいは引退を決意したうp主自身の手で削除されていった動画たち。
心の中にひっそりと刻まれていた思い出の動画たちが、再び目の前に映し出される感動。
この「ニュー・ニコマス・パラダイス」が公開されたときには、まだニコニコ動画のMAD削除方針は明らかにされていなかった。
しかし、今、あらためてみると、このラストシーンは自分たちの近い未来を映し出しているようであまりにせつない。


たしかにMADムービーとは、著作権侵害の作品群たちだ。
しかし、それは決して違法であることを目的とした悪ふざけではない。
元ネタへの愛があればこそ、MADという表現が生まれ、それにより元ネタのファンの輪がより広がっていく。
もちろん、MADとは日の当たる場所に堂々と存在すべきものではないかもしれない。
しかし、あたかもコンクリートのすき間にひっそりと咲いているようなこの作品たちには独自のよさがある。


MADに対して自己批評的なMAD「ニュー・ニコマス・パラダイス」は、今だからこそ私たちにMADのあり方を考えさせる。
ニコニコ動画が、MADという日陰に育った文化のパラダイスであり続けることを願ってやまない。

*1:ワタクシ海月のコメントも紹介していただきました。