DREAM.4に思う、2008年から顕在化した日本格闘技界のテーマ

TBS「格闘王」拡大スペシャルでの『DREAM.4』放送は今夜ですね。
一時間番組の分割での放送はわかりづらくて見逃しやすいし、視聴するテンションも微妙なのでいまいちですね。
まあ『DREAM.5』は即日録って出しのゴールデン二時間枠での放送が決定しているので一安心。


ちょっと原稿と重なって格闘技の話題を書きそびれてました。
この6月には『戦極〜第参陣』や『DREAM.4』があったのですが、結果云々うんぬんはもう遅いので、総論的な話題を。


桜庭和志、そして藤田和之の敗戦には思うところがありました。
格闘家のみならず、競技者には“引退”というゴールが必ずおとずれます。
形は様々ですが、幸福な引退を迎えた人は格闘技人生そのものが幸福だったともいえます。
正直なところ、『PRIDE』の発展期を支えた選手たちには、日本人選手も外国人選手も“引退し損ねた”人たちが多いように感じます。
もちろん歳をとった=引退しろ、という決まりはないですし、40歳をとうに越えて活躍するランディ・クートゥアなどは偉大な存在です。
しかし、誰もがそうなれるわけではないですし、引き際は人それぞれに異なるものだと思います。


そこで感じるのは『PRIDE』というホームグラウンドを失ってしまった『PRIDE』初期の選手たちは、自分の引き際もまた見失ってしまったのではないかということです。
それを象徴する存在が桜庭和志です。
彼は『PRIDE』どころか、Uインター、キングダム、高田道場など、それまでに所属してきた団体がすべて消滅もしくは離脱という状態で、ホームグラウンドがありません。
例えばこれが修斗パンクラス出身でその後『PRIDE』『HERO'S』などで活躍したという選手なら、負けがこんでメジャーのリングにあがれなくなっても最後はそれぞれのホームに戻って引退という自然な流れができます。
極端な話、藤田和之だったら総合格闘技を引退してプロレスに戻る、という選択肢もあるわけです。
しかし、桜庭はそういう場所がありません。


もっとも、桜庭本人は、そしてなにより周囲の人間が、まだ桜庭の引退をよしとしていないように思います。
不自然なまでに回避され続ける田村潔司戦がその証拠です。
言い方を変えれば、ホームグラウンド喪失者である桜庭の幕引きの相手をきっちりつとめられる人物は、個人的な因縁を持つ田村しかいません。
桜庭にとって、田村戦のその先にはもうなにもないと思うのです。
桜庭が「もう、ゴールしてもいいよね?」と倒れ込んだ時、その身体を受け止められるのは田村だけです。


だから僕にとっては、桜庭vs田村戦は心底見たいカードであると同時に、とても見たくないカードでもあります。
もし実現するならば、それは桜庭の引退という悲しい出来事を伴うはずだからです。
しかし、もっと恐ろしいのは、そのカードが実現して、なおかつ桜庭が引退しないことです。
もしそうなったら、僕たちは出口のないリングでもがき苦しむ桜庭の姿を見続けることになるでしょう。
それはとても残酷なことではないでしょうか?


なにやら桜庭ひとりの話に終始してしまいましたが、僕の思う日本格闘技界の2008年から数年間のテーマは「総合格闘技ブームの立役者たちをいかに幸福に引退させるか」です。
格闘技ファンとは、終わりのない群像劇を見続けている人たちのことです。
が、しかし、格闘技選手一人一人にはエンドマークが必要なのだということを忘れてはいけません。